社会福祉士・精神保健福祉士 / 田中 香枝 さん 社会福祉士・精神保健福祉士 / 田中 香枝 さん
テーマ 01

認知症になると何もわからなくなってしまうの?

わからないのではなく、
わからないように見える。

  • 社会福祉士・精神保健福祉士 /
    田中 香枝 さん
  • 私の色(理由:緑は自然の色だからいいなと思って)

社会福祉士。精神保健福祉士。2001年から曽我病院(神奈川県小田原市)で勤務。2017年から同院の若年性認知症支援コーディネーターとして活動している。「SHIGETAハウスプロジェクト」(神奈川県平塚市)協力スタッフ。

2020年9月 取材(神奈川県平塚市「SHIGETAハウス」)

以前は精神疾患の人を支援することが多かったそうですが、
数年前から認知症の人の支援がメインとなり、何か違いを感じていますか。

認知症の難しい点は、進行性の疾患であることです。ご本人もご家族も、いまの状況に慣れたと思ったら症状が進んでしまい、また新たな状況に向き合わなければなりません。その繰り返しの中で長い経過を辿ります。現状維持ができないことと経過が長いこと。そこにご本人とご家族のたいへんさ、支援の難しさがあります。
長い経過の中でいずれ、「わからないわけではないけれど、わからなくなっているように見える時期」がどうしても訪れます。先が見えてしまうのもこの病気のつらさではないでしょうか。そういう意味では、自分の病状を客観視できる人のほうが精神的にきついかもしれませんね。先が見え、「ああ、ゆくゆくは私もあーなってしまうのだろう」と思ってしまいますから。

そうしたご本人の気持ちの持ち方や考え方が、変わるようにサポートするのも、私たちの「相談支援」の役割です。どの病気にもいえることですが、特に長い経過を辿る認知症では、病気と闘うのではなく、病気とどううまく付き合っていくかが重要になります。病気と共にどう生きていくか。生活していくか。病気を生活の中心に置くのではなく、記憶障害など何らかの障害はあるにしても、そればかりにとらわれず、ご家族や支援者の力を借りながら自分がやりたいこと、楽しめることをする。そこに私がどう関わっていけるかでしょうね。医師や看護師など様々な職種の人たちと協力し、介護保険サービスなども利用しながら、どう関わっていけるかということを考えながら活動しています。

「認知症の人はわからないわけではなく、わからなくなっているように見える」というお話がありましたが、それはどういうことなのでしょう。

認知症の中期以降の話ですが、認知症の人はこちらがかけた言葉を理解するのに時間がかかります。また、言われたことを覚えていられないこともあるため、それを頭の中に入れて、整理して考えるのが難しいこともあります。そうしたインプットの問題のため、話しかけても返答がないと、理解できていないと思ってしまう。でも、何も理解できていないわけではなく、相手の表情だったり、声のトーンだったり、ノンバーバル(非言語的)なコミュニケーションの部分で感じているものがあると思います。相手の醸し出す雰囲気はわかっているのではないでしょうか。
アウトプットの問題もあります。言われたことは理解できるし、どう答えればよいのかもわかるけれど、それを言葉にしてきちんと相手に伝えることができない。言葉が出なかったり間違ったことを言ってしまったりする。そうすると「あ、わかってないなぁ」と判断されてしまいます。

ご本人が自分の考えを言葉にしないからといって、わかっていないと判断すべきではないと思います。「わかっている・わかっていない」「言葉が通じている・通じていない」ということを考えるのではなく、「わかっているだろう」「通じているだろう」という前提でご本人に話しかけたほうがいいのではないでしょうか。雰囲気も含め、伝わるものがあると思います。
認知症の人との会話に関して、あるご本人がこんなことを言っていました。自分がしゃべっている途中で家族が、かぶせて話をしてしまうと、「じゃあもういいよ」と言いたいことも言わなくなってしまうと。だからこちらが(本人の話が終わるまで)待てるかですね。たとえご本人の話に脈略がないように思えても、ご本人の理解の中ではつながっているのだろうと思って待つ、待てるかです。

以前は精神疾患の人を支援することが多かったそうですが、数年前から認知症の人の支援がメインとなり、何か違いを感じていますか。
認知症になると「何もわからなくなる」という決め付けに対して
ご本人たちはどのように感じているのでしょう。

わかる部分もあるのになあと思っているんでしょうね。ただ、そのわかるというのが、覚えていられることなのか、正しく判断できることなのか、外からは曖昧なことが、認知症の人の理解を難しくしているのかもしれません。そもそも「何もわからなくなる」の「何も」というのが曖昧ですよね。「何もって何?」って。曖昧だから、何かわからないことがあると、「あ、全部わからないんだ」となってしまうのかなと感じたりもします。

いま思ったのですが、ご本人にとっては自分が理解していること、記憶していることがすべてじゃないですか。覚えていないことは、ご本人の中ではなかったことなので、「僕は全部覚えている」と思っているのかもしれませんね……いえ、わからないです。すみません、ちょっとそう思ったので。
なぜそう思ったかというと、私たちにも「自分の知っていることがすべて」と思い込んでしまうところがあるのではないでしょう。私は「若年性認知症の人が社会に一定数いる」ということを、自分が実際に若年性認知症の人たちと関わることで初めて学んでいます。高齢者も含めて認知症の人が急増しているといわれますが、もしかしたら昔から多かったのかもしれません。家の中にいて、社会から隠されていただけで。
引きこもりもそうですが、私たちが知らないもの、私たちに見えないものは、ないものとして社会が回ってしまっているような気もします。

認知症になると「何もわからなくなる」という決め付けに対してご本人たちはどのように感じているのでしょう。
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