



新しいことにチャレンジしよう、仲間とともに。
好きなことができなくなったら、
次の好きなことを見つければいい
- 看護師 / 沖 桂子 さん
- 私の色(理由:空、空の広さのイメージ。飛行機のように、あっちに行ったりこっちに行ったり飛び回ってます。)
一般企業で会社員として働いた後、結婚・出産を経て看護学校に入学、卒業後。看護師資格を取得し、神奈川県小田原市にある曽我病院に勤務。精神科急性期病棟を経て、現在は外来を担当。「SHIGETAハウス」注1)(2019年5月開設)のスタッフとして参加している。
2020年12月取材(神奈川県平塚市)
注1) SHIGETAハウス:神奈川県平塚市の地域の集い場。認知症の専門医である繁田雅弘先生の空き家となった生家を利用し、認知症カフェや講習会、音楽や農作業を楽しむ催しなどを開いている。


- 沖さんの認知症との出会いは
どのようなものだったのでしょう。 -
私は遅くに看護師になりました。以前は普通の会社員でしたが、結婚し、出産を機に仕事を辞めました。その後、時間ができたので何か勉強しようと思い、看護学校に入って看護師になったんです。30歳を過ぎてのことでした。看護師になるのが夢だったとか、そういうことではなくて「資格を取ってみようかなあ」という気持ちからでした。でも気がついたらもう10年以上、看護師として働いています。
子どもを育てるのに勤務体制や条件が良かったこともあって曽我病院に就職を決めました。精神科の病院ですが、私は精神科の疾患についても、認知症についても深く知りませんでした。看護学校で勉強はしたけれど、スッと頭に入ったわけではないし、それまで認知症についてしっかり考えたこともなかったと思います。
看護学校の病院実習で、たまたま認知症の方の担当になりました。朝、病棟に行くと私のことがわからない。「昨日も来た学生ですよ」と言ってもわかってもらえない。そこから始まりました。
朝は私のことがわからなくても、夕方になると覚えてくれています。楽しく話もできます。「ああ良かった」とその日を終え、次の日に行くとまた私のことがわからない。昨日はあんなに楽しかったのに。「私、なんで毎回、自己紹介しているんだろう」。実習期間の2週間、ずっとそんな感じでした。当時を振り返ると、私はその人に対して自分を印象づけよう、思い出してもらおうという関わり方をしていたのかもしれません。「ほら、昨日はあれをやったじゃない」「こういう話をしたじゃない」と、思い出してもらうのに懸命でした。認知症のために記憶が欠落してしまうということを、私は十分には理解していなかったんです。今思うと、その人は昨日のことは覚えていなくても、その日その日は私と楽しく話をし、満足されていたんだと思います。
今は、たとえば認知症カフェで何度もお話をした方が、私のことを覚えていなかったとしても、別に私が誰かなんて関係ないと思っています。その時が楽しいままであればいいんだと。
- どういうきっかけで、認知症の人たちも集まるカフェに
参加するようになったのですか。 -
曽我病院の同僚に、「こんなカフェがあるよ。行ってみない?」と誘ってもらいました。最初に小田原の認知症カフェに行ってみて、すごく興味を持ち、それからはいろいろな認知症カフェに顔を出したり、認知症の勉強会にも参加するようになりました。
病院から許可をもらい、勉強がてら週1回、地域包括支援センターでケアマネジャーのような仕事もさせてもらいました。でも、私たぶん仕事となるとダメなんですね。これは仕事だから、私は看護師だから、一生懸命勉強して得たものを還元しなきゃいけないと思うとすごく重くなってしまう。いっぱいいっぱいになってしまうんです。「SHIGETAハウス」には、仕事とは切り離し、ボランティアスタッフとして来ています。看護師として求められるものはないのですごく楽しいです。
- 沖さん自身はどういうことを求めて
認知症カフェに通い始めたのでしょうか。 -
月に数回、いろいろな認知症カフェに参加していました。スタッフとしてではなく、自分がただそこにいたいから通っていました。他の参加者の背景はまったく知りません。深い関係性ができたわけでもありません。その場の会話を楽しむだけ。なんで毎月参加していたのかといわれると、何でしょう……私ちょっと夢がありまして、自分が暮らしている二宮でカフェをやりたいと思っているんです。そのためには何が必要か、どういう活動が良いのか、情報収集も兼ねていろいろなカフェに顔を出していたところもあります。
二宮は一人暮らしの高齢者が多いです。何か趣味があって楽しければいいと思いますが、1日何もやることがなく、一人で家にいてもつまらないのではないでしょうか。私が町内会の集金にうかがったり、回覧板を届けにいったりした時に、夏でもずっとこたつに座っている方がいたんです。そういう人たちの居場所をつくりたいと思っています。
二宮では、知らない人でも道で出会うと足を止めて挨拶をしたり、犬の散歩をしていると話しかけられたり、住民の間の距離が近いんです。そんな地域性があるので、あそこにいれば誰かいる、話し相手がいるというカフェをつくれば、認知症があろうがなかろうが、地域の人たちが立ち寄ってくれるんじゃないかと思っています。「そういう場所をつくってくれ」と誰かに頼まれたわけではないですが、「つくったら行くぞ」と言ってもらえる自信はあります(笑)。
- 1
- 2
-
テーマ 02
新しいことにチャレンジしよう、仲間とともに。
-
02 #1 ほどよい距離の人間関係が長寿と長いお付き合いの秘訣です 医師 / 内門 大丈 インタビューを読む
-
02 #2 次はどんな幻視が現れるのか楽しみにしています 認知症 当事者 / 三橋 昭 インタビューを読む
-
02 #3 好きなことができなくなったら、次の好きなことを見つければいい 看護師 / 沖 桂子 インタビューを読む
-
02 #4 いつだって新しいスタートは切れる。 デイサービス管理者 / 橋本 剛 インタビューを読む
-
テーマ 01
認知症になると何もわからなくなってしまうの?
-
01 #1 認知症になっても、ならなくても自信だけは失わないでほしい 医師 / 繁田 雅弘 インタビューを読む
-
01 #2 本人と出会えば一瞬でなくなる偏見もあります。 映像プロデューサー / 平田 知弘 インタビューを読む
-
01 #3 心は見えないのに、どうすれば共感できるのだろう。 保健師・看護師 / 吉田 周子 インタビューを読む
-
01 #4 もともと多かった友だちが、認知症になってさらに増えました。 近藤英男・小夜子 インタビューを読む
-
01 #5 わからないのではなく、わからないように見える。 社会福祉士 / 田中 香枝 インタビューを読む