デイサービス管理者 / 橋本 剛 さん デイサービス管理者 / 橋本 剛 さん
テーマ 02

新しいことにチャレンジしよう、仲間とともに。

いつだって新しいスタートは切れる。

  • デイサービス管理者 /
    橋本 剛 さん
  • 私の色(理由:奥さんとよく花を見に行くので黄色が好きですが、今の気分は広がりのある空の色。自分の中に制限をつくりたくないし、認知症の人にもつくらないでほしい。)

社会福祉法人さくら会。介護福祉士。指定認知症対応型通所介護事業所(デイサービス)の管理者をしながら、法人内部研修や地域向けの家族介護者教室で講師を担当。「みんなの談議所しながわ」注1)に立ち上げメンバーとして関わっている。

注1) みんなの談義所しながわ:地域に暮らすさまざまな人たちがゆるやかに集まり、言葉と想いを交わす場所。話す内容はその場の雰囲気しだい。話したいことがあれば自由に話してもらえればいいし、その場にいるだけでもまったくOK。参加している若年性認知症のご本人の思いから、戸越銀座商店街で特製とん汁を振る舞うイベントや餅つきなども開催。月一回程度のペースで活動を続けている。

2021年1月取材(東京都品川区)

橋本さんは現在、認知症の人が利用する
デイサービスの施設長をしていますが、
そもそもいつ頃から認知症の人と関わるようになったのでしょう。

「社会福祉法人さくら会」に勤めてもう20年になりますが、認知症の人とのつながりとなるともう少し前に遡ります。介護福祉専門学校の学生時代、実習で認知症の人たちの施設での暮らしを体験する機会がありました。当時はまだ、認知症の人の個別性を重視した対応や、本人の視点に立ったケアといった考えは今ほど普及していません。職員さんたちの本意ではないのでしょうが、決められた流れの中に認知症の人たちが置かれている、といった印象を受けました。お一人お一人と接していても、生きづらさだったり悲しさ、つらさが伝わってきて、二十歳そこそこだった私には強烈な体験でした。

そこが始まりだったのかもしれません。認知症の人たちのために何かをしたい、働きたいという思いが強くなり、さくら会に入る際に、認知症の人たちが暮らすフロアでの仕事を希望しました。

施設での研修の前は、認知症の人に対して
どのようなイメージを持っていたのですか。

仕事として以前に、ということですね。そうなるとさらに遡り、人生相談みたいな話になるかもしれません(笑)。実はすぐ上の兄がダウン症で、私は物心ついた時からそうした兄と一緒に育ちました。社会には何らかの障害のある人たちがいる──言葉にすればそういう話になるのでしょうが、私にとっては何の違和感もない世界でした。それだけに、施設で認知症の人たちの姿を見て大きなギャップを感じたのかもしれません。

もう一つ、私は小学生の頃に交通事故で左足を骨折し、3カ月間入院しました。その時、同じ病室に認知症の方がいらっしゃったんです。かなり頑固なおじいさんで、看護師さんたちのいうことを聞きません。だけど私と話す時はにこやかな笑顔を見せてくれます。看護師さんも「橋本くんのいうことはよく聞いてくれるのよね」と話していました。
そうか、こちらがあらかじめ壁をつくらなければふつうに話ができるんだ。子どもながらにそう思ったことも、今につながっているのかもしれないですね。

子どもの頃や学生時代に心に残る体験をし、
実際に介護の仕事についた時、
何か戸惑いはあったのでしょうか。

介護の実情に批判的になるつもりは全然ないんです。ただお恥ずかしい話、私は人とのコミュニケーションがあまり得意な人間ではありません。そのために行き詰まりを感じる時期もありました。認知症の人が置かれた状況に対し、私はある種の違和感を抱いて介護の仕事をスタートしたわけですが、施設には私と思いを同じくしてくれる職員さんもいれば、そうではない職員さんもいます。その中で自分の思いを実現していくのは、とてもたいへんなことのように思えました。私は少しずつ施設の外にも出ていくようになりました。

外に出てみると、私と同様、組織の中で窮屈な思いをしている人たちが集まる場がありました。そこで私の心に生じたのもやはり違和感でした。ともすれば介護や福祉の専門家だけで盛り上がっているような、そんな空気感を感じたのです。

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橋本さんの中で違和感がくすぶり続けていたわけですね。 そうした状況が変わるきっかけは何だったのでしょう。

自分の仕事にも関連し、品川区でまちづくりに関するイベントが開催されました。その“まちづくり”の中には、認知症や高齢者だけでなく、防災や商店街の活性化、お子さんの教育といったテーマも含まれます。「みんなで課題を持ち寄って解決策を探ろう」という趣旨の会でした。私はそこで大きな刺激を受けます。

先ほど、専門家だけで話し合うことへの違和感といいましたが、そうはいっても私自身、結局は介護や高齢者福祉の枠から出ないところで話をしていました。自分の視野の狭さを、幅広いバックグラウンドを持つ人たちの集まりで強く意識させられました。

まちにはさまざまな人が暮らしています。一人一人、困っていることは多岐にわたります。だけど自分たちは、高齢者や認知症という限られたテーマを掲げ、どうにかしようと模索してきました。テーマを明確にすることで話し合いがしやすくなる面もあるでしょう。でも一方で、さまざまな課題を持ち寄ることでジョイントできる部分に気づいたり、思わぬ方向から解決の糸口が見えてきたりもする。そうした様子を目の当たりにし、自分のフィールドに戻った時にも、さまざまな人たちがやんわりと話のできる場があれば素敵だろうと思いました。

その後、品川区のごく内輪の集まりで、お酒の勢いも手伝い、談義所(みんなの談義所しながわ)の原型ともいえるイメージをちらっと話したら、「おもしろそうだね。やってみよう」という空気になりました。それが談義所の最初のスタートだったと思います。

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