看護師 / 沖 桂子 さん 看護師 / 沖 桂子 さん
#3
好きなことができなくなったら、
次の好きなことを見つければいい

看護師 / 沖 桂子 さん

何か楽しめる趣味があればいいというお話でしたが、
認知症になると好きなことができなくなると
言われることもあります。

別に認知症だからとかではなく、年齢や環境の変化によってできなくなることがあって当たり前だと思います。たとえば細かいものが見づらくなり、手先がうまく動かなくなれば、好きだった編み物がストレスになったりもするでしょう。その時々で、本人がやりたいことや趣味が変わっていくのは自然ではないでしょうか。本人が今はもう興味がないのに、周りの人たちが「前はこれが好きだったからやらせてあげたい」「継続できるように何とか支援しよう」と考えるのはちょっと一方的かなと思います。

たぶん本人が一番、だんだんできなくなっていることがわかっているのでしょう。それを周りの人が「いや、変わってないよ」というのは、何だか軽い言葉のように感じます。大事なのは本人が今それをやりたいかどうか。やりたいんであれば継続し、だんだんできなくなってきたら、また次にできること、楽しいことを探せばいいと思います。本人の主体性を引き出してあげることで、その時その時にあったものが見つかる、好きなことが自然に沸いてくる、そんな場があるといいのでしょうね。

実は私、2年ぐらい前からマラソンを始めたんです。それまでは全然運動をしていなかったのに、いきなりフルマラソンから始めて、タイムは今では5時間を切ります。今まで私は、たとえば編み物をすれば完成する前に次に興味が移っちゃったりして、趣味が長続きしませんでした。だから、認知症であろうとなかろうと、途中で飽きればやめるだろうし、無理にやらされたくはない。自分がやりたいと思ったら、私にとって今マラソンがそうであるように、何歳になってもチャレンジしてみればいいんです。

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自分は良かれと思っていても、相手からすれば
無理強いされているように感じることもあるのでしょうね。

あります。SHIGETAハウスでは、ウクレレを弾いたり、畑作業をしたり、木彫りをしたり、木彫りの時に誰かがマイカップを持ってきてお茶を飲んでいたら「今度みんなで陶芸に行こう」と盛り上がったり、みんながやりたいことを楽しんでいます。自分はウクレレは嫌だ、木彫りも嫌だという人がいても、一人でポツンとなることはありません。話の輪の中に入っています。そういう場なんです。
ある時、私が参加者の人にウクレレを渡そうとしたら、「俺はいいよ」とやんわり断られました。でもみんなで楽しくできればいいなと思い、その場の雰囲気に流されて「大丈夫、大丈夫」みたいに軽い感じで勧めてしまったんです。その人はウクレレを受け取り、結局弾かずに過ごしました。「あれは押し付けだったね」と、あとでスタッフと一緒に反省しました。幸いその人は次からも来てくれているので、その時々の気持ちを汲み取るように心がけています。

スタッフのみなさんの力なのでしょうか。私はSHIGETAハウスに来るようになって毎日の生活がちょっと楽しくなりました。認知症の人や家族の人がよく「ここに来て元気をもらう」といいますが、私も元気をもらっています。ウクレレも畑作業も、もしかしたら自分が一番楽しんでいるかもしれません。

私、ひとりが大好きだったんですよ。人と関わるよりも、ひとりでご飯を食べているほうが気を遣わないし…。それが今は、みんなといてこんなに楽しいと思えるんだって、自分でびっくりしています。変わったなあと思います。「SHIGETAハウスプロジェクト」の代表の繁田先生には、「沖さん大丈夫? 仕事の休みを取ってまでここに来て」と心配していただいてます(笑)。私が楽しいんです。来たいんです。やれと言われたことじゃなくて、自分がやりたいと思ったことをやっていきたい。そうできれば素敵ですね。

沖さんの夢だという、二宮のカフェが軌道に乗るといいですね。

子どもも大きくなって時間に余裕ができたので、何か地元に貢献したいと、仲間たちと意気投合しています。その場所に支援者が待っているとかいうのではなく、「あ、今日はこの人がいるのね」って地域の人たちがたわいのないおしゃべりをする、そういうイメージです。昔ながらの近所のおばあちゃんの家にお茶を飲みに行こう、みたいな感じで過ごせる場所ができたら素晴らしいなと思っています。

あなたにとって認知症とは何ですか?(看護師 / 沖 桂子 さん)
──あなたにとって認知症とは何ですか?

特別な病気、ではない。数ある病気の中の一つ。認知症だから…ということはないと思います。

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