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受診の前にお伝えしておきたいこと

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東京医科大学病院
高齢診療科 主任教授 清水 聰一郎
取材:2021年9月24日 東京医科大学病院

高齢診療科 主任教授 清水 聰一郎

早期受診は重要ですが、認知症に対する誤解や過度な恐れを持ったまま受診するのは好ましくありません。その時は認知症と診断されなくても、いつか認知症になるのではないかと不安を抱いて年齢を重ねることになります。
逆に正しい知識があれば、認知症と診断されたとしても、清水先生のいう“健康”な生活を送ることができます。

今日、認知症と診断されたからといって、昨日と何も変わらない

「病気」の反対は何でしょう。
私はよく患者さんやご家族に、こうお伺いします。「病気」の反対は「健康」ではなく「病気じゃない」というだけです。「病気」と「健康」はまったく別の話で、病気であろうと、「健康」という言葉が示すとおり※、体調的にも精神的にも健やかに,康らかに生きていくことができます。逆に病気でなくても、たとえば毎日「病気になるのが怖い、怖い」とおびえて生きている状態は、決して健やかでも康らかでもないでしょう。だから病気を必要以上に怖がらないでいただきたい。特に認知症に関しては、ことさら不安をあおるような情報に振り回されないで欲しいと思います。

「健康」という言葉は、中国の古典「易経」の中の「健體康心(けんたいこうしん)」に由来しています。すなわち體(からだ)が健やかなだけでなく、心が康(やす)らかな状態が健康なのです。

認知症の誤解を紐解く

認知症と診断されると今までできていたことが急にできなくなる。人格が変わってしまう──。そういう間違ったイメージを生む情報が世の中に溢れています。私もよく、認知症と診断したご本人やご家族から、「今日からどうすればいいんでしょう」「もう〇〇をしてはいけないんですね」と尋ねられます。「いえいえ、今日病院に来て検査をするまでは病気だって分からなかったわけじゃないですか。診断を受けたからといって急に自分が変わるわけではないし、人生が変わるわけでもありません。今までどおり普通に生活してください」

そう申し上げるのですが、多くの方はどうしても、『認知症か認知症じゃないか』、白か黒かの二元論で考えてしまいがちです。連続性のある変化の中で今はどういう状態なのか──そういう理解の仕方をしていただくためには、時間をかけた丁寧な説明が必要になります。

正しい理解が広まっていないという点では、今もまだ、「アルツハイマー病」イコール「認知症」と思っている方が多いようです。脳の中にアルツハイマー病の病理がある(アミロイドβというたんぱく質が異常に蓄積する)ことと、認知症のために生活に支障が出ることは別の話です。病理は徐々に進行しますし、どの段階で認知症になるかは個人差があります。そうした正しい理解がないと、医師からたとえば「脳の中にアルツハイマー病による変化がありそうですが、まだまだ大丈夫ですよ」と説明されてもピンとこないでしょう。病理も、生活も、人生も、それぞれに連続して続いていくものです。

診察室で心を紐解く

認知症と診断されて急に変わるのはご本人ではなく、ご家族のことも少なくありません。ご本人に対して「これをすると危ないから」「私の言うことを聞いて」と押さえつけるような態度をとってしまうことが多々あります。これは愛情の裏返しで、ご本人のことが心配のあまり、ということは分かりますが、結果的にご本人のプライドがとても傷つきますし、大きなストレスになります。

日々診察していて多いのは、認知症の方の奥様が「夫が怒りっぽくなった」とおっしゃるケースです。診察室で一人ひとりのお話をよく伺うと、周りからは人格が変わったように見える言動にも、その方なりの理由があることがよく分かります。ご本人の根底にあるのは、病気の特徴である記憶障害(新しいことを覚えるのが苦手になる)や見当識障害(いまがいつか、ここがどこかといったことがわからなくなる)などです。そうした障害のために、ご本人は戸惑ったり不安を感じていらっしゃいます。本来はそういう部分を周囲がサポートしてあげることが大切なのですが、往々にして本人を責めたり行動を制限したりしてしまいがちです。そうすると本人は、プライドや愛情の裏返しから怒ったり疑い深くなったりします。それが周囲からは人格が変わったように見えてしまいます。

「夫が怒りっぽくなった」とおっしゃる方々も、ご本人は昔ながらの亭主関白的に攻撃的になっているわけではありません。要は奥様の前で格好つけたいのです。男性はみんなそういうところがありますよね。私だってそうです。男性ならいつまでも奥様の前で格好をつけていたいものです。ところが自分が奥様から注意されると、格好つけられなくなったので、つい声を荒げてしまいます。人間、本当のことをいわれたり、痛いところを突かれたりするとイラっとするものですよね。認知症の方も、ご自身でどこかうまく行かないという自覚があって、私共のところにいらっしゃいます。ご自身でも自信を失いかけている中、奥様から言われると患者さんとしてはバツが悪い。診察室で時間をかけてそういうお話をすると、たいがいご本人の男性は、「そうなんですよ!先生の言うとおりで。自分でもちょっともの忘れがあることは分かっているんですが。プライドもあるし、強く言われるとちょっと・・・。」と、家で奥様に面と向かっては話せないこともお話していただけます。診察室では、ご本人と介護者の愛情から来るボタンの掛け違いを丁寧に紐解いていくことが大切です。

病院は、いやが応にも自分が病気であることを自覚する場所です。だからこそ、できる限り笑顔がこぼれるような楽しい診察にしようと心がけています。最近強く思うのですが、私自身も『白衣を着た医師』という無味乾燥な存在ではなく、「私も人間です」「反抗期の子どもを持つ父親です」ということをご本人やご家族にわかっていただくのがとても重要と感じています。今日も男性の患者さんに、「ご夫婦で仲が良くていいですね。僕なんて昨日は家内と大喧嘩ですよ」とお話ししたところ、急に身近に感じていただけるようになりました。同士というと変ですが(笑)。いったんそういう空気になると、話しにくいことや、介護者の方に直接言いにくいことも、お話していただけるようになりますし、嫌々ではなく来院していただけるようになります。そのうちに少し考え方が変わり、「まあ病気でも、先生がいう通り楽しく過ごせればいいよね」という気持ちになっていただければいいなあと思っています。そして「清水先生に会うと何だか元気が出るんだよね」とおっしゃっていただけると医者冥利につきます。

楽しく生活しているご本人たちを見てほしい

「認知症でもできる」という表現は、「認知症になるとできないことがある」の裏返しなので、そういう表現は個人的には使いたくありません。できる・できないを問題にするのではなく、「楽しく生きる」ことが大切で、それは認知症であってもなくても一緒です。

ただ、「認知症であってもなくても楽しく生きられる」というメッセージは、ご本人やその周囲の方々には受け止めていただけますが、まったく認知症と接点がない方には届きません。「認知症にならないほうがいいに決まっているじゃないか!」で終わってしまう。正しい理解がないままに「ああはなりたくない」という漠然とした恐怖を感じているからだと思います。やはり、まだまだ認知症に対する偏見があるということでしょう。「認知症はこういう病気です。でも大丈夫。別に生活が変わるわけではありません」という情報が当事者以外の方々の目に自然に止まるのが理想的です。しかし実際には、認知症に対するネガティブな情報が世間に溢れかえっています。テレビのバラエティ番組などで「この質問に3つ答えられたら大丈夫(認知症ではありません)」といった場面を見かけますが、あれは「答えられなかったら大変」の裏返しです。皆さんにそのような漠然とした恐怖を感じていただきたくはありません。ではどうすればいいのか?現在、私も試行錯誤中ですが、一つには私たちも開催している認知症カフェでご本人やご家族が楽しく過ごしている様子をご覧になっていただけるといいのかもしれません。認知症になってももちろん笑わないわけじゃないし、笑うのと同じぐらい怒るし悲しむし、といった生き生きとした感情表現を、ありのまま見ていただけたらと思います。認知症を抱える誰々さんといったノンフィクション番組や、介護の問題を取り上げる情報番組といったスタンスとは別に、たとえばYouTubeのチャンネルに認知症のご本人とご家族が普通に登場して楽しんでいる。それを皆さんが楽しんで観ている。そのような世界が理想的なのではないかと思います。

毎日を楽しく生活してください

自分や自分の家族が認知症になったら、長年患者さんを診ている私でさえも心穏やかではいられないでしょう。診察室で「深刻にならないでください」と話しつつ、深刻に受け止めるご本人やご家族のお気持ちも理解できます。そういう皆様の心の葛藤を感じながら診察することが大事だと感じております。そして、ご本人とご家族に「明日からどう過ごせばいいですか?」と尋ねられた時にお答えすることはいつも一緒です。「毎日を楽しく生活してください」。これに尽きます。病院にいらしたその次の日から、皆様の人生が急激に変わるわけではありません。毎日を楽しむために、認知症が心配な方は必要以上に怖がらず専門医にご相談なさってください。

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