もともと多かった友だちが、
認知症になってさらに増えました。

2020年9月 取材(神奈川県平塚市「SHIGETAハウス」)

お話を伺った方

近藤英男 さん・小夜子 さん

英男さん:67歳(取材時)。理化学機器メーカーの営業マンだった2010年、57歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断される。逗子在住。週2回、友だちと逗子海岸などを約2時間かけて散歩するのが楽しみの一つ。

英男さんが認知症の診断を受けたのはいつ頃のことですか。

小夜子さん
10年半前です。いまは神奈川県平塚市で開業されている内門大丈(ひろたけ)先生(湘南いなほクリニック院長)が横浜南共済病院にいらした時に診ていただき、その後もずっと主治医としてお世話になっています。診断がついた時、内門先生は夫には、「軽度認知障害であることは間違いないですね」というようなやんわりとした言い方をされました。でも私には「アルツハイマーって言ったらショックですよねえ」と……。その時はもう覚悟していたので、「ああ、やっぱりそういうことだったんだ」と思いました。
夫にはその後、数カ月から半年ぐらいの間に「アルツハイマーなのよ」って私から伝えました。夫は「ああ、そう」とそんなに落ち込むふうでもなくて。やっぱり徐々にもの忘れらしきものが進んでいるのを自分でも感じていたんでしょうね。
英男さん
もうふつうに、あ、病気なんだなと。じゃあまあ、先生の言うことを聞いてやっていけばいいかな、ぐらいの感じですよ。

診断を受ける前の英男さんの様子はどうだったんですか。

小夜子さん
診断を受ける3年ぐらい前から「何か変だな」というのはありました。別の病気でほかの先生にかかっていたので、そういうこともたまに相談していたんです。でも、「(認知症なら)ふつうだったら5分10分世間話をすると、あれって思うようなところが伺えるのに、ご主人の場合はそういう様子もないし。う~ん、違うと思うけれど」みたいなお話でした。
ただ、そのうちに仕事にも影響が出始めて、会社の方から「専門のお医者さんに診てもらってください」と勧められました。それで内門先生のところに行き始めたんです。11月に夫の57歳の誕生日を迎え、翌年の1月のことでした。その後、会社から「簡単な作業でよければ仕事を続けていいですし、ここを辞めて別の方法を考えるのでもいいですよ」と選択を求められ、慣れたところのほうがいいかなと、そのまま続けさせていただきました。
英男さん
やっぱり働かないと気合いが入んないんですよね。
小夜子さん
2年半ほど簡単な仕事をさせていただいて、60歳の半年手前で会社から「もうこれ以上は無理かな」というお話がありました。そこからは、傷病手当などを受けながら半年間休職し、60歳で定年退職というかたちです。親身になって一緒に考えてくださる会社なのでありがたかったですね。仕事を辞めてから夫はいつも「元気だし、まだ何かできることはあるはずだから」と言ってました。
英男さん
まったく何もやらないで過ごすんじゃもったいないですからね。
小夜子さん
できることがあればって感じでいたよね。
診断を受ける前の英男さんの様子はどうだったんですか。

「SHIGETAハウス」注1)に来るようになったのは内門先生の紹介ですか。
お二人とも「SHIGETAハウスプロジェクト」のスタッフなんですね。

小夜子さん
内門先生に「認知症の啓発みたいなかたちで始めるので」と、オープンの時に招待していただきました。内門先生にはいろいろとよくしていただいていて、先生が開かれている「湘南オレンジカフェ」(認知症カフェ)にも毎月おじゃましていましたし、ほかの集まりにも呼んでいただいて。
英男さん
集まって話し合ったり騒いだりするのが好きなんです。
小夜子さん
SHIGETAハウスではスタッフの一部にさせていただいています。ほんと一部ですが。
英男さん
そうそう、カケラみたいなやつです(笑)。
小夜子さん
何のお手伝いにもなっていませんけれど、何か用事があると呼んでくださるので、「は~い」という感じでおじゃましています。
英男さん
呼んでくれるところがあるとうれしいやね。私は昔から友だちを集めるのが好きだったもので。友だちが集まると、そこから自然発生的にまた新しい仲間ができたりして、けっこう友だちは増えましたね。それが財産ですよ。いまも集まるのが楽しいです。
小夜子さん
いますごくよい時代だなと思うのは、認知症の方たちに対するの支援の輪がいろんなところであるんです。「RUN伴(ランとも)」注2)ですとか「Dシリーズ」注3)ですとか。そういうところでもすごいたくさんお友だちが増えました。
英男さん
そういう意味じゃ、
小夜子さん
幸せだよね。
英男さん
よかったよね。

注1) SHIGETAハウス:神奈川県平塚市の地域の集い場。認知症の専門医である繁田雅弘先生の空き家となった生家を利用し、認知症カフェや講習会、音楽や農作業を楽しむ催しなどを開いている。内門先生は「SHIGETAハウスプロジェクト」の副代表。

注2) RUN伴(ランとも):認知症の啓発イベント。設定したゴールまで認知症の人や家族、支援者、一般市民がタスキリレーをして走る。

注3) Dシリーズ:Dementiaシリーズ(全日本認知症ソフトボール大会)。認知症になってもやりたいことに熱く打ち込みたい、挑戦し続けたい! そのような本人さんたちの声から、真剣勝負のソフトボール大会を実現。

英男さんはフォークデュオを結成し、CDも出したそうじゃないですか。

小夜子さん
夫は学生時代にギターを弾いていたんです。まあそんなに本格的にではなく、友だちが集まった時にみんなで歌ったりするぐらいでしたが。
英男さん
仲間を集めて何かやることが多かったんです。
小夜子さん
3年半ぐらい前に、「かまくら認知症ネットワーク」の代表をされている稲田秀樹さんと夫の2人で「ヒデ2」注4)(フォークデユオ)を結成し、認知症関連の交流会の最後に演奏するといった活動をずっと続けてきました。そうしたら内門先生から、「知り合いのシンガーソングライター(さとうさちこさん)とコラボしないか」というお誘いがあり、CDのレコーディングに参加させていただいたんです。思わぬ経験だったよね。
英男さん
本当に、犬も歩けばでね。
小夜子さん
さとうさんのオリジナル曲とは別に、2曲のレコーディングに参加させていただきました。曲の名前ですか? (英男さんに)覚えてますか。
英男さん
俺は認知症なんだよ(笑)。
小夜子さん
「バラが咲いた」と「見上げてごらん夜の星を」。
英男さん
おまえよく覚えてるじゃないか。
小夜子さん
私、認知症じゃないから(笑)。夫と稲田さんはギターと、あと歌も歌っています。
英男さん
シンガーソングライターということで。
小夜子さん
違います(笑)。これから新しい楽器を覚えるのは無理だけど、ギターなら覚えているコードを弾けているかな。忘れているコードもけっこうありますけれど。
英男さん
確かに、だんだんね。まあ行けるところまで行くか。

注4) ヒデ2:高校時代にギターの弾き語りを趣味にしていた近藤英男さんが、若年性認知症の人が集う交流会に参加した際に、主宰の稲田秀樹さんから「雰囲気が暗くならないよう、ギターを弾いてよ」と頼まれた。それがきっかけで2017年1月、やはりギターが趣味だった稲田さんとフォークデュオ「ヒデ2(ツー)」を結成。これまでに地域のサロンやイベントなどで100回以上のライブを開いている。

英男さんはフォークデュオを結成し、CDも出したそうじゃないですか。

講演を頼まれることもあると聞きました。

英男さん
講演もしますよ。
小夜子さん
医療や介護の専門職の方向けの時もありますし、一般の方向けの場合はシリーズというか、「認知症について認知症の人から学ぼう」というかたちで横須賀や鎌倉などいろいろなところで続けています。県外からもオファーがあって、去年は福井や千葉、愛知、岐阜などに出向いて講演させていただきました。先ほどのヒデ2の稲田さんのお知り合いがあちこちにいて、声をかけてくださるんです。
去年の福井もそうでした。以前、世界アルツハイマーデー(9月21日)のイベントで神奈川県庁をオレンジにライトアップした時に、TVK(テレビ神奈川)の番組に出させていただいたことがあるんです。その最初の挨拶の時に夫が、「認知症ど真ん中の近藤です」と始めちゃったのが福井の方にすごく受けたみたいで。「こんな人がいるんだ」と稲田さんのほうにお話がありました。
英男さん
キャッチフレーズです。
小夜子さん
その時々で変わるんですけれどね。
英男さん
いつも何かおもしろいことはないかと考えているんで、そういうのが自然と頭の中からボコボコって出てくるんですよ。せっかくこうしていろんな人と関わり合えるようになって、いろいろやってもらったり、やらせてもらったりしてきているので、うれしい方向に、楽しい方向に持って行ければいいなと思っています。単一指向性じゃないけれど、楽しい方向だけに。
小夜子さん
いろいろとやることがあって楽しいね。
英男さん
ね、それはもうほんと感謝です。

認知症のことを、周囲の人やお友だちに話すことに抵抗はなかったですか。

小夜子さん
仕事に行かなくなった59歳半から2年か3年ぐらいは、ご近所にもそんなに言ってなかったと思うんです。でも夫が、近所の私の友だちに挨拶するのを見かけて、これは言っておかなければ、と思い、「主人、認知症だから、そのうちちょっとわからなくなって挨拶できなくなるかも」と言い始めて。そこから少しずつ話すようになりました。周りの方々にオープンにすることで、みなさんが病気のことを聞きやすくなりますし、「うちの親戚にもいるの」といった話も出るようになりました。
英男さん
昔からの仲間に話した時も、「え、ほんとかよ」で終わりですよ。あとは特に何も。
小夜子さん
みなさんびっくりしたとは思いますけれど、以前と変わらない感じでふつうにお付き合いしています。
英男さん
小夜子のお友だちなんかでも、俺のことをわかっている人はみんな友だちになっちゃっているから。
小夜子さん
そうそう。テレビや新聞にも出るようになりましたし、活動範囲を広げるためにも全部オープンにできてよかったと思います。
英男さん
いろんな人と付き合ったり、遊んだり。そうしているうちにだんだん楽しくなるものね。逆にね、認知症になる前よりも。
認知症のことを、周囲の人やお友だちに話すことに抵抗はなかったですか。

さっきクーラーをつけた時、英男さんは
「人生によい風が吹いてきた」とジョークを飛ばしていましたね。
家でもこういうふうにユーモアにあふれ、ポジティブな感じなんでしょうか。

小夜子さん
いえ、でもそうでもないです。外ではこうやって前向きの発言が多いですけれど、家にいるとけっこう“下向きの発言”があります。やっぱり最近、認知症の症状のためにできないことも多くなっているので、「俺はこれからどうなっていくかわからないから」というようなことをよく言います。自信がなくなってきている部分もあるんだと思うんです。だから、ね、落ち込んで話す時があるよね。
英男さん
人生いろいろ。変なこと考えてもいいし。楽しく考えてもいいし。個人個人、自分が生きたい道を選んでいるんですから。
小夜子さん
だからいろいろです。
英男さん
同じこと言ってもしょうがないでしょう(笑)。
小夜子さん
ただ、家にいる時はそういう状態でも、外に出て人に会うと、こうやってスイッチが入ったように感じが変わったりするので。家と外とで違うのも、それはそれで本人の刺激になっていいのかなあとも思います。いろいろあっていいのかなあと。
英男さん
やっぱり人に会って話すのはいいですよ。活性化しますもの。
小夜子さん
そういうことが多いから、診断から10年半経ってもこうして元気でいられるのかなと、それは思いますね。

あなたにとって
認知症とは何ですか?

あなたにとって認知症とは何ですか?

英男さん
もうお友だちですよ。それ以上でも以下でもないっていう。これからもね、仲良く、
小夜子さん
お付き合いしていかなきゃいけないね。
英男さん
そうですね。最高のお友だちになっちゃったですね(笑)。

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