エーザイ

ほどよい距離の人間関係が
長寿と長いお付き合いの秘訣です

2020年12月取材(神奈川県平塚市)

お話を伺った方

医師/内門 大丈 さん

メモリーケアクリニック湘南 院長、横浜市立大学医学部臨床教授。東京都精神医学総合研究所(現東京都医学総合研究所)で神経病理学の研究を行い、2004年より全米屈指の医療機関メイヨークリニックに研究留学。2008年、横浜南共済病院神経科部長に就任。湘南いなほクリニックを経て、現在に至る。診療に加え、認知症に関する啓発活動、地域コミュニティの活性化に取り組んでいる。

認知症の診療を始めた頃のことを覚えていますか。

あまりはっきりとは覚えていませんが、最初はご本人にフォーカスするというよりも、ご家族の話を聞くことが多かったように思います。もちろん、ご本人にも声をかけてはいましたが、8割方は、親の介護に熱心な娘さんの訴えを伺い続けるといったことに時間を当てていたのではないでしょうか。

今はどうかというと、基本的にはやはりケースバイケースです。ただ、以前よりも明確に意識していることはあります。おそらく一般の人は認知症を、“ある/なし”の二分法で考えているのではないでしょうか。認知症があると何もわからない。認知症がなければ普通。でも、認知症の診療を長く続けてきて実感したのは、認知症の人の状態はいわゆるスペクトラム(淡いから濃いまで、はっきりした境界のない連続体)であり、グレーの部分がとても多いということです。認知症があってもコミュニケーションがとれる人はたくさんいます。当たり前のことですけれどね。

一方で、認知症がありながら多くのことを理解できて、でもコミュニケーションはあまりとりたくないという人も当然いるわけです。その場合、僕は診察で根掘り葉掘り聞いたりはしていないかもしれない。だからケースバイケース、その人その人に合わせてということです。

以前、一般の人向けの講演を終えたあと、90代の人が僕に声をかけてきました。「私は今まですごく頭を使ってきたから認知症にならなかったのよ」という話でした。
何だろう。それってやはり認知症を“ある/なし”の二分法で捉えているような気がしたんです。おそらくその90代の人も、若い頃に比べたら認知機能は落ちているでしょう。にもかかわらず現在進行中の当事者としての意識が低い。僕自身は20代の頃と今との違いを強く感じています。以前は当たり前にできていたことが今はできない。だから連続した経過の過程にいるという実感があります。

認知症の診療を始めた頃のことを覚えていますか。

二分法のお話と関連して、認知症と診断されるとその日から
もう何もできなくなると思う人もいるようです。
診断を機に、あたかも脳の状態ががらっと変わってしまうかのように。

実際はそうではないですよね。そうではないことに加えてもう一つ、診断をどう受け止めるかに関しては、臨床診断と病理診断(確定診断)の問題も関係してきます。たとえば、亡くなったあとに脳を直接見てみると、アルツハイマー病の原因物質と考えられている異常なタンパク質(アミロイドβやリン酸化タウ)がたくさんたまっている人がいます。しかし、その人たちの生前には認知症の症状がなかったケースもあるのです。

臨床症状と脳の病理が矛盾する可能性を念頭に置くと、もしかしたら「あなたは何々型認知症です」というよりも、「アミロイドβの数値がこのぐらいです」という説明のほうがしっくりくるのかもしれません。「アミロイドβの数値がやや高いですね。いずれ、もの忘れなどの症状が出てくるかもしれないので気をつけましょう」というかたちで予防対策にもつなげやすいように思います。「血圧が少し高めなので運動するように心がけましょう」とアドバイスするのに近いイメージですね。
あくまで「もしかすると」というレベルの思いつきですし、いずれにせよ、今は主に研究目的で測定しているアミロイドβやリン酸化タウが、日常的な検査で手軽にチェックできるようになってからの話ですが。

現状に話を戻しましょう。脳の異常が必ずしも症状に反映されないのとは逆に、認知症らしき症状があり、画像検査で脳の萎縮などが確認されても、アミロイドβは蓄積していない、つまりアルツハイマー型認知症ではない可能性もあります。だから僕はご本人やご家族に、「臨床診断としてはアルツハイマー型認知症とつけますが、確定診断ではありません。経過をみていきましょう」といった説明をしています。ピンとこない人もいるかもしれません。でもそこまで説明するのが医師として誠実な態度じゃないかと思えるのです。僕の説明がよくわからないながらも、「医者が何か一生懸命、対応しようとしている」と感じてもらえる部分もあるかもしれない。もちろん100%支持されるわけではないでしょうが、僕はそう思います。

二分法のお話と関連して、認知症と診断されるとその日からもう何もできなくなると思う人もいるようです。診断を機に、あたかも脳の状態ががらっと変わってしまうかのように。

内門先生が院長をしている「湘南いなほクリニック」は
認知症をはじめとする訪問診療を中心に行うほか、
もの忘れ外来も開設しています。
患者さんたちは何を求めて受診するのでしょう。

※取材時のご所属です。

まずは話をしっかり聞いてもらいたいというところが大きいのではないでしょうか。あとは病気の説明ですね。そうしたニーズに応えるためにどんな工夫をしているか。このクリニックには1診から3診まで3つの診察室があります。各部屋に看護師と往診同行スタッフが待機し、僕だけが3つの診察室をぐるぐる回る診療方式です。たとえば、1診の患者さんに医療費や生活費の助成制度が必要と判断すれば、社会福祉士のスタッフを部屋に呼び、社会資源の説明をします。あるいは今、具合が悪いのであれば、話を詳しく聞いて慎重に診察をしたり、さまざまな検査を行ったり、その部屋を使い1時間でも2時間でもお付き合いします。その間、他の患者さんは別の2つの診察室で対応するわけです。
そのような受け入れ態勢なので、状態が安定している患者さんも、不安定な患者さんも、ある程度満足していただけているのではないでしょうか。

もの忘れ外来の診察で認知症という臨床診断がついたとします。その時、ご本人やご家族は何を知りたいと願うのでしょう。アンケートなどでは「先々どうなるのか予後が知りたい」という回答が上位にくるのではないでしょうか。でも実際の臨床現場で、予後を聞かれることは決して多くはありません。「最終的にどうなるかを今話されても……」と戸惑う人もいるでしょう。情報としては正しくても、ご本人やご家族によってそれを受け止められるタイミングが異なります。場合によっては、「まあ焦らずに、こういうことから始めてみましょうか」といったゆったりした対応で良いのではないでしょうか。もともと精神科医療は、その人・その時々の状況に合わせてアプローチするものですから。

人格障害や摂食障害など、主に若い人の精神疾患を診るのと、高齢者の認知症を診るのとで、基本的なアプローチに変わりはありません。ただ、若い人の精神科医療が、どちらかというと独り立ちを促す医療、最終的には卒業していく医療といえるのに対し、高齢者の認知症医療は「長くお付き合いできるか」を問われる医療だと思います。最期まで付き合おう。そう考えればおのずから、前のめりになるというか、時間をかけて踏み込んでいく関わり方になるのではないでしょうか。

最近は認知症に関する情報が簡単に手に入るので、非常に早期、たとえばMCI(軽度認知障害)の段階で相談に来る人も増えています。「現時点では認知症ではないので、ここ(医療機関)に来る必要はありません」といった対応では、その人たちの不安を受け止められません。私は、先ほど話したように認知症の状態をスペクトラムとして捉え、「半年後か1年後にまた診ましょうか」と提案しています。定期的にフォローするだけでも、何らかの心の支えになれるのではないかと思っています。

これからの時代は、“もの忘れのかかりつけ医”といった存在が必要とされるようになるかもしれないですね。認知機能の衰えに対する不安に寄り添いながら、生活習慣病の予防や改善を図り、それによって認知機能低下のリスクも減らす。認知症になった場合には、長いスペクトラムを共に過ごしていく。それはやはり、かかりつけ医的な感覚なのだと思います。

内門先生が院長をしている「メモリーケアクリニック湘南」は認知症をはじめとする訪問診療を中心に行うほか、もの忘れ外来も開設しています。患者さんたちは何を求めて受診するのでしょう。

“もの忘れのかかりつけ医”の存在もそうなのでしょうが、
認知症の有無にかかわらず、健やかに歳を重ねていくためには
どのような環境が必要なのでしょうか。

長寿の島として知られるイタリアのサルディーニャ島で長生きの要因を調べた研究があります。「適正な体重」や「運動」などよりも強力な要因として、4位と3位には「禁酒・節酒」「禁煙」が入りました。さらに上位の2位に挙げられたのは「親密な人間関係」です。具体的には、急にお金が必要になった時に借りに行ける相手や、体調が悪くなった時に医者を呼んでくれたり病院に連れて行ってくれたりする人などがいると、長生きの可能性がぐっと高まるということです。
そして1位は何かというと、「social integration(社会的統合)」と呼ばれるもので、日々どれぐらいの人と交流があるかを示します。たとえば、郵便局員さんが荷物を届けてくれた時に挨拶をするとか、犬を連れて毎日散歩する人と会話を交わすとか、ポーカーをしたり読書クラブに入るとか……。決して親密な関係ではありませんが、社会の中に自分が組み込まれているという感覚がある。人間関係が浅くてもいいんです。むしろ適度な距離があるほうが心地良かったりもするわけです。

僕には趣味という趣味がなかったのですが、最近たまたまきっかけがあり、横浜市内にあるヨットハーバーでヨットに乗るようになりました。大学3年生の時に、「内門、今、入部すれば未経験者でもレースに出られるぞ」と先輩に誘われてヨット部で活動して以来のことです。13人チームの一番下っ端ですが、強風の時は命の危険を感じたり、非日常感を楽しんでいます。そのようにハードな面もあるスポーツですが、高齢のメンバーも多いんですよ。ハーバーに仲間といるだけでも、リラックスした様子で楽しそうに時間を過ごしています。歳を重ねるにつれできなくなることも増えますが、“その場に身を置ける趣味”があるだけでも、ずいぶん違うのではないでしょうか。それもSocial integrationなのかもしれません。

認知症の臨床にも同じことがいえるように思います。もちろん医師として厳格に対処すべき時はそうしますが、一方で少しゆるくというか、あまりかしこまらずにお付き合いしていくほうが、その人を支えられるのかもしれません。ある意味そこが一番キーになるような気がしています。

あなたにとって
認知症とは何ですか?

あなたにとって認知症とは何ですか?

ライフワークかな。おそらく死ぬまで認知症関連の仕事をしていくのだろうという気がしています。以前よく考えたことですが、誰もがなりうる認知症は、人種や宗教を超えた世界共通のテーマといえるのではないでしょうか。いろいろなことを考えるうえでのキーワード、考えさせられるキーワードになると思います。

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