エーザイ

二人が今、楽しく生活できている理由

自らの判断で医療機関を受診し、56歳で認知症の診断を受けた林田光市さんと奥様の純子さん、認知症医療・ケアに長年携わっている繁田雅弘先生によるリモート対談の内容を紹介します。

お話を伺った方

林田さんご夫妻の画像

林田光市 さん・純子 さん

通信会社に勤務していた56歳の時に、若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けた光市さん。2020年10月、岐阜県とエーザイが若年性認知症と診断された人の就労を支援するモデル事業を開始したのを機に、同県各務原市の「内藤記念くすり博物館」で薬草園の樹木を管理する仕事に従事しています。

繁田先生の画像

繁田 雅弘 先生

日本認知症ケア学会理事長
東京慈恵会医科大学精神医学講座教授

妻のさりげない声掛けを受け、
自ら医師に相談

繁田
自分が認知症とわかった時にどのように感じるのか、多くの人が知りたいところだと思います。落ち着いてから振り返っても思い出せないという当事者の方も多く、それだけたいへんな時期を過ごされていたということなのでしょう。光市さん、覚えている範囲でいいので、認知症とわかった時のことをお話しいただけますでしょうか? 最初にご自身が変化に気付かれたのですか?
光市
自分は何も感じていませんでした。痛い痒いもまったくないし、会話も仕事も普通にできていましたから。でも妻からは「どこかがちょっと前とは違う」と言われていましたね。
純子
50歳を超えると疲れもでるし、もの忘れも増えると思います。ただ夫の場合は、前日に私と話した記憶のかけらも残ってなくて、会話が成り立たないことがたまにありました。それで「あれ、おかしいな」と。
外出先で住所・氏名を記入する時に、突然「書けないから書いておいて」と頼まれたこともありました。急いでいるからだろうと最初は受け止めましたが、そうした出来事が何回か続いたので、「大丈夫? もし不安だったら早めにお医者さんに相談にいくといいよね」と声を掛けるようにしていました。
繁田
純子さんは優しいですね。普通は「昨日言ったこと何も覚えてないの!?」「病院に行かなきゃダメじゃない!」ときつく当たってしまうケースも多いようです。
純子
デリケートなことなので、なかなか強くは言えなかったですね。その頃に年1回の人間ドッグがあり、主人が自分から先生に相談しました。私は後から知ったのですけれど。
繁田
光市さんはご自分の変化に気付いていらしたわけですね。そういうケースはけっこう多くて、ご家族が何かおかしいと心配して私の外来にいらっしゃる場合も、よくよくお話を伺うとご本人が先に気付かれているということがよくあります。
では光市さんが人間ドッグの医師に相談して、専門のクリニックを紹介されたのですね。
光市
認知症かもしれないから、詳しく診てもらったほうがいいよと。
純子
紹介していただいたクリニックに夫が予約の連絡を入れたところ、家族の付き添いを求められたようです。「一緒に来てくれない?」と夫に言われ、「大丈夫だよ」と2人で受診しました。
繁田
なるほど。お二人の場合はオープンなのでまったく問題はありませんが、今後はケースによってはまずご本人だけにお会いし、「ご家族にこのことをお話ししてもいいですか? どなたにお話しするのがよいでしょうか?」と確認したうえでご家族をお呼びする時代も来るのではないかと思います。

夫婦それぞれが家の外で役割を持ち、
適度な距離間を保つ

繁田
認知症の診断を受けてから、純子さんの中で何か変化はありましたか。
純子
認知症のことを知ろうとインターネットで調べた時に、最初に見たのが〔若年性認知症の人は進行が早い〕という情報でした。今、診断を受けてから8年目ですが、当時は3年先のことも予想できなくて……。夫はまだ勤めていましたので、いつまで仕事ができるだろうと考えると経済的な不安でいっぱいになり、だったら私が働こうとパートに出るようになりました。それまでは主人は働く人、私は専業主婦というかたちだったのですが、私がパートを始めてからは、主人も洗い物をしたりゴミ出しをしたりすごく気を遣ってくれるようになりました。
繁田
仕事一辺倒の生活から変わったわけですね。光市さん、家事を手伝っていて戸惑ったことなどはありましたか?
光市
いや、それはなかったと思います。
純子
ゴミの置き場所を間違えたり、洗い物が中途半端に終わっていたり、ということもありましたけれど主人は気付いていないと思います。あ、こんなところで(話しちゃった)
光市
それも忘れてた(笑)
繁田
純子さんがお仕事を始められたのはよい選択であったと私も個人的に思います。いつも一緒にいて横で見ていると、本当はできることの方が多いのに、どうしてもできないことばかりが目に付いて、認知症の症状に振り回される生活になりがちです。純子さんに家の外で主婦以外の役割があり、光市さんにも(内藤記念くすり)博物館で役割があるというのはすごくよいことだと思います。お二人には博物館からリモートでご参加いただいていますが、純子さんは今日この対談のために博物館にいらしているんですね。 
純子
実は今年の4月から、私も博物館のボランティアに参加させていただいています。
繁田
そうなんですか。できるだけ博物館の中では別々過ごされたほうがいいかもしれませんね。
純子
別々にしております(笑)
繁田
少し離れているとまた会った時にやさしくなれますよね。「もうちょっと一緒にいたいな」と思うくらいのほうが、お互いにちょうどいいみたいですよ。
就労中の光市さんの写真

就労中の光市さん(左側)

定年後も働き続けたい気持ちと
それが難しくなる現実

繁田
光市さんが以前されていた仕事は診断後にどうされましたか?
光市
認知症とわかった後も60歳の定年まで4年間、名古屋の勤務先で働き続けました。
純子
私は60歳で辞めるだろうと心の準備をしていたのですが、夫が「まだがんばるよ」と言うので契約社員として勤めることにしました。そのタイミングで、通勤の負担を減らすために家の近くにある支店へ異動させていただきました。
繁田
職場を変えたのですね。契約社員としては何年ぐらい働かれたんですか?
純子
(光市さんに耳打ちするように)1年ちょっとやと思うけど。
光市
そやな。
繁田
(笑)3人の対談なので、お二人で小さな声で話さなくてもいいと思いますよ。
純子
主人は環境が変わった頃からつらそうでした。同僚の方、建物、物の置き場所まですべて変わったので、今思うとたいへんだったと思います。私にはそれが予想できなくて。
光市
「もう辞めます」という話にしたんです。
純子
夫から「勤めるのはもう無理だと思う」という言葉をもらい、「ああ、そうなんやね」と答えると次の日には「やっぱりもうちょっとがんばるわ」。そうやって行ったり来たりという時期がけっこう長くありました。
繁田
かなり迷われたんですね。
純子
働き続けられるように応援したいと思っていたのですが、やはり環境が変わったことが大きかったですね。夫自身が急に変わるわけではないですから。
 朝、会社に送り出した夫が、駅に向かう道で社員証や定期券をちゃんと持っているか確認する姿をよく見ました。立ち止まってかばんの中を探り、定期券を取り出して、あるのを確かめてからまた歩き出す──最寄り駅まで10分ぐらいかかるのですが、たぶん途中で何度もそういうことを繰り返していたのでしょう。「がんばれ、がんばれ」と思っていました。私の中ではその時の夫の姿が今もすごく印象的です。

変化を受け止めながら
徐々に夫婦の役割をスイッチ

繁田
光市さんはもともと、忘れないように手帳やメモに小まめに書き込みをされるタイプだったのですか?
光市
しないですね。
純子
もともと記憶はいいほうです。
繁田
そうするとなおさら純子さんには以前との違いが大きく感じられたでしょうね。
純子
夫は本当にしっかりした人で、「俺に付いてこい!」みたいにいろいろ計画を立てるのも得意でした。でも少しずつそういうこともなくなって……。私は付いていくほうだったので、気持ちの整理がつくまでずいぶん葛藤しました。うまく切り替えができるようになったのは最近ですね。今は夫に相談しながら私がリードする感じになっています。
繁田
光市さんはリーダーシップを譲ったわけですね。純子さんは頼りになりますか?
光市
なるなる!はい。
純子
今は二人ともとても穏やかでいます。
林田さんご夫妻の画像

絵を描くことを通して、
今の自分と昔の自分が呼応する

繁田
今1日のなかで光市さんが特に心穏やかでいられるのはどのような時間ですか?
光市
楽しい時間といったらそうですね、犬の散歩とかね。必ず同じ道を通るように仕付けているので、何か犬が私を補佐してくれるような気になるんです。
繁田
同じように犬を連れていて、散歩の途中でいつも挨拶する人などいるのですか?
光市
あまり犬同士を近づけないようにしています。
繁田
吠えたりするから?
光市
そうそうそう。キャンキャンと喧嘩する犬が多いので。やっぱり犬も怖いらしいんですよね。
繁田
散歩の途中でも季節ごとの発見があったらたのしいですね。犬の散歩のほかにはどうでしょう?
光市
時間があれば絵を描いていますね。下手な絵ですけれど、自分でもいいなあと思う時があります。
純子
夫がちょっとイライラした時期があったんです。何をしたらいいかわからなくて、たまたま私が昔、絵を描いていたので、家にあった絵の具を出して「何か描いてみたらどう?」って勧めました。「自由に描いていいよ。形にならなくても色を楽しめばいいよ」って。
夫は絵の具の感触や色の混ざり具合いが心地いいと、独特の絵を描くようになりました。
繁田
昔から絵を見るのが好きだったり、お芝居を楽しんだり、芸術に触れる機会はあったのですか?
光市
なかったよねえ。
純子
なかったと思います。最近は「水中昆虫を描いたよ」とか「長良川の風景を描いたよ」とか、自分にとって印象深かったものを表現しているようです。近頃は水中昆虫を目にしていないので、昔、そういうものに触れていたことがあるのかもしれません。
繁田
子どもの頃に生き物を飼ったりされていたのですか?
光市
はい。バッタから何からいろんなものを。
繁田
自分が没頭できることって、昔の自分とどこかでつながっていることが多いかもしれませんね。あらためて昆虫を飼うのとは違いますが、昆虫を描くことで心の中の同じところが楽しんでいるというか、感じている部分がきっとあるんだと思います。

二人きりだと諦めがちなことも
仲間と一緒ならできる

繁田
犬の散歩をしたり、絵を描いたり、あるいは家事を手伝ったりで1日の時間か過ぎていくなかで、あらためて感じたり考えたりすることはありますか? 奥様に感謝しているというのはなしですよ、当たり前のことですから(笑)。
光市
いい息子がおります。先日も「庭でバーベキューやるよ」と声を掛けてくれたり、よくしてもらっています。
繁田
言うことないですね。家族で楽しんだり、一緒に時間を過ごしたりというのは普通のことのようでいて、意外にみなさんできていないのではないかなあ。
光市
ああ、そうかあ。
繁田
自分がどういう時間を過ごしているのか振り返ったり、悪くない人生だ、幸せだなあと思ったりすることがないままに人生を終えてしまう人も多いのではないでしょうか。一方で病気になったことがきっかけで、今、自分がしていることの価値をあらためて感じたり、家族や周りの人たちと喜びを共有できるようになったという方にもたくさんお目にかかっています。
純子
私たちが今のように楽しく生活できるようになったのは、認知症カフェなどで同じ境遇の友だちや支援してくださる方々とつながった頃からです。認知症のある人とか、ない人とか関係なくフラットに楽しめる場所ができています。
光市
ただただ楽しく時間を過ごしています。
純子
キャッチボールをしたり、みんなで金華山に登ったり、体を動かしている時の夫は特に楽しそうです。私たち二人きりだと諦めがちなことも、仲間と一緒ならできるというのを楽しみに出かけられるようになりました。
繁田
認知症にならなければおそらく出会わなかった人たちとのつながりが、今のお二人にとってかけがえのないものになっているわけですね。
今日はとても勉強になりました。ありがとうございました。またお会いできる機会を楽しみにしています。
繁田先生の画像
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